2014年2月24日月曜日

磐城平九代記と津波の記録 その3

津波の記録の比較
よく見ると、「磐城九代記」と「磐城平九代記」とでは、構成が違う、
よく考えれば、「磐城平九代記」などという文献は見たことが無かった、
20年も前に手元にあったが、磐城九代記と思っていたので、深く考察することはなかったが、たぶん、「磐城平九代記」は「磐城九代記」よりも前に書かれたものではないかと推察する。
なぜなら、「磐城九代記」には、津波の記事にしても分かるように、省略されているからだ。
分かる方居ますか?

延宝五丁巳年■■ハ宝暦十三癸未年迄八拾七年ニ成し
(宝暦十三年から87年前の延宝五丁巳年に)

「宝暦十三年から87年前の」この記載は後から書く記載には必要のない情報である。
書いた時が、宝暦であれば必要ではあるが、後年になれば意味はないと考える

津波浦々へ打寄たたれ事
延宝五丁巳年■■ハ宝暦十三癸未年迄八拾七年ニ 
成し十月九日ノ夜五ツ時大津波寄小名濱■神白
長崎四ツ倉汀濱江寄リ之中ニと永崎浦ハ強キよせ 
長崎ニテハ男女■■ニ八拾人余リ流死又其乃後元
禄九年子之六月廿七日昼八ツ時ヨリ大波立嵐強キ 
四ツ倉迄濱之船破損して舟方浦々ニテ都合弐千
四百五拾人余り打果同七月まで海中より死 
骸取揚ケ塚を築是ヲ千人塚とて四倉辺ニ立也


送信者 磐城平九代記の津波の記録

ちなみに、延宝5年10月9日に起きた津波の被害は、千葉から仙台にかけてあったようです。


大日本地震史料 : 増訂 (国立国会図書館デジタルコレクション)







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