2014年11月5日水曜日

長久保赤水 東奥紀行 閼伽井嶽の龍燈

早稲田大学図書館 古典籍総合データベース
長久保赤水 東奥紀行
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ru04/ru04_01358/ru04_01358_p0006.jpg

なかなか、面白いとおもいます。

2014年8月10日日曜日

いわき市にあった捕虜収容所の話

常磐炭田史研究会がまとめた、聞き語りの報告書にいわきにあった捕虜収容所の話が掲載されていたので、NET上にある資料を求めてみました。

POW研究会
http://www.powresearch.jp/jp/archive/research/index.html


仙台俘虜収容所
湯本分所>>笹本妙子によるレポート(PDF)
http://www.powresearch.jp/jp/pdf_j/research/sd01_yumoto_j.pdf

好間分所>>笹本妙子によるレポート(PDF)
http://www.powresearch.jp/jp/pdf_j/research/sd02_koma_j.pdf


Center for Research Allied POWS Under the Japanese
http://www.mansell.com/pow-index.html

Sendai #1 POW Camp YUMOTO
http://www.mansell.com/pow_resources/camplists/sendai/Sendai_1_yumoto/sendai_1_main.html

Sendai #2B Yoshima
http://www.mansell.com/pow_resources/camplists/sendai/sendai_2/sendai_2_main.html


Captain Bartlett reported a B-29 crashed on a nearby hill during a food drop
http://www.mansell.com/pow_resources/camplists/sendai/Sendai_1_yumoto/B29%20crash.html



Angel My Shoulder
Geoffrey Monumentの好間の捕虜収容所の体験
http://www.amazon.co.jp/Angel-My-Shoulder-Geoffrey-Monument/dp/1897666160

Researching FEPOW History Group

http://www.researchingfepowhistory.org.uk/news/RFH%20Newsletter%20May%2009.pdf

Geoffrey Monument の写真


洟をたらした神―吉野せい作品集
P108 麦と松のツリーと に書かれている
http://www.amazon.co.jp/%E6%B4%9F%E3%82%92%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%9F%E7%A5%9E%E2%80%95%E5%90%89%E9%87%8E%E3%81%9B%E3%81%84%E4%BD%9C%E5%93%81%E9%9B%86-%E5%90%89%E9%87%8E-%E3%81%9B%E3%81%84/dp/4841503625

2014年4月30日水曜日

諸国叢書 3 昭和61年 成城大学民族研究所

諸国叢書 3
http://www.seijo.ac.jp/minken/kankou/syokoku.html

大須 賀履(大須賀筠軒)が書いた、焔取録 が掲載されている。
この、焔取録は、磐城地方の妖怪とかの伝説を記載されたもので、高木誠一が柳田国男に貸した写しとなっている。いろいろと興味深いことが書いている。

現在は入手が難しいので、古本で購入することしかできない。

日本の古本屋
http://www.kosho.or.jp/book/keyword/%E8%AB%B8%E5%9B%BD%E5%8F%A2%E6%9B%B8/

2014年2月27日木曜日

2014年2月26日水曜日

磐城平九代記の津波の記録 読み解き完了

磐城平九代記の津波の記録の読み解き完了しました。

津波浦々へ打寄たる事

延宝五丁巳年と申ハ宝暦十三癸未年迄ハ拾七年ニ
成也 十月九日ノ夜五ツ時大津波寄 小名濱下神白
長崎四ツ倉汀濱江寄リ也 中ニと永崎浦ハ強キよせ
長崎ニテハ男女等共ニ八拾人余リ流死又其乃後元
禄九年子之六月廿七日昼八ツ時ヨリ大波立嵐強キ
四ツ倉迄濱之船破損して舟方浦々ニテ都合弐千
四百五拾人余り打果同七月まで海中より死
骸引揚ケ塚を築是ヲ千人塚とて四倉辺ニ立也

【現代語訳】
津波が浦々へ打ち寄せたこと
宝暦13年(西暦1763)の72年前、延宝5年(西暦1677年)10月9日の夜8時頃、小名浜、下神白、長崎、四ツ倉の海岸へ津波が押し寄た。
中でも、長崎海岸は強く押し寄せて、長崎では男女約80人が流されて死亡した。
また、そのあと、元禄9年(西暦1696年)6月27日昼2時頃から、大波が来て強い嵐になっって、四倉までの浜の船は破損した。
合計2,400人余り打ち果てて、船方がこの年の7月ごろまで、沿岸の海中から死骸を引き上げて、塚を作った。
この塚を千人塚と言って四倉のあたりにある。



考察
この文が書かれたのは、宝暦十三年頃。
延宝五年と元禄九年の津波の様子が記録されている。
磐城九代記に書かれている記録とは違う。


送信者 磐城平九代記の津波の記録
.あとは、ご自由に使ってやってください下さい。

2014年2月24日月曜日

磐城平九代記と津波の記録 その3

津波の記録の比較
よく見ると、「磐城九代記」と「磐城平九代記」とでは、構成が違う、
よく考えれば、「磐城平九代記」などという文献は見たことが無かった、
20年も前に手元にあったが、磐城九代記と思っていたので、深く考察することはなかったが、たぶん、「磐城平九代記」は「磐城九代記」よりも前に書かれたものではないかと推察する。
なぜなら、「磐城九代記」には、津波の記事にしても分かるように、省略されているからだ。
分かる方居ますか?

延宝五丁巳年■■ハ宝暦十三癸未年迄八拾七年ニ成し
(宝暦十三年から87年前の延宝五丁巳年に)

「宝暦十三年から87年前の」この記載は後から書く記載には必要のない情報である。
書いた時が、宝暦であれば必要ではあるが、後年になれば意味はないと考える

津波浦々へ打寄たたれ事
延宝五丁巳年■■ハ宝暦十三癸未年迄八拾七年ニ 
成し十月九日ノ夜五ツ時大津波寄小名濱■神白
長崎四ツ倉汀濱江寄リ之中ニと永崎浦ハ強キよせ 
長崎ニテハ男女■■ニ八拾人余リ流死又其乃後元
禄九年子之六月廿七日昼八ツ時ヨリ大波立嵐強キ 
四ツ倉迄濱之船破損して舟方浦々ニテ都合弐千
四百五拾人余り打果同七月まで海中より死 
骸取揚ケ塚を築是ヲ千人塚とて四倉辺ニ立也


送信者 磐城平九代記の津波の記録

ちなみに、延宝5年10月9日に起きた津波の被害は、千葉から仙台にかけてあったようです。


大日本地震史料 : 増訂 (国立国会図書館デジタルコレクション)







石炭ガスの作り方

ガスが家庭に来るまで、昭和16年 少國民年鑑 東京 東雲堂発行に石炭ガスの作り方が掲載されていました。
現在は、こんな効率が悪く、環境的でないガスの作り方はしませんが、
片寄平蔵が居た時代、この原理と同じことで、ガスを作ったのかもしれません。
用は、石炭を密閉容器で蒸し焼きにすると、コークスと石炭ガス、タールが出来るということです。

送信者 ガスが家庭に来るまで

2014年2月23日日曜日

磐城九代記と津波の記録 その2

自分なりに解読して見ました。

津波浦々へ打寄たたれ事
延暦五丁巳年 ■■ハ宝暦十三癸未年迄ハ拾七年ニ
■之 十 月九日ノ 夜五ツ 時大津波寄小名浜■神白 
長崎 四ツ倉汀濱 ■■■之中ニと永崎浦ハ強キよせ
長 崎ニテハ 男 女■■ニ八 拾 人余 リ流死又其後元
禄九年子之六月廿七日昼八ツ時ヨリ大波立嵐強キ
四ツ倉迄濱之船破損して舟方浦々ニテ◎◎弐千
四百五拾人余り打果同七月まで海中より死
骸引揚ケ塚を築是ヲ千人塚とて四倉辺ニ立也

■はどうしても、読めない所です。どなたか解読お願いします。

送信者 磐城平九代記の津波の記録

諸根樟一が勿来文庫版と出した内容とは若干違うようです。

2014年2月14日金曜日

磐城九代記と津波の記録

何気なく、磐城磐城九代記 を見ていたら、津波の記録があった。
でも、内容が磐城誌料叢書のとは微妙に違う。
たぶん上下になっていないので、古い記録と思います。
読んでみてください。


磐城平九代記の津波の記録

磐城平九代記

2014年2月12日水曜日

磐城舞子観光案内

新舞子は以前、磐城舞子と呼ばれていた、高木誠一が草野村役場の助役を務めていた時の資料
一緒に綴られていた物から昭和4年頃の記載と考える。

磐城舞子観光案内

2014年2月7日金曜日

2014年2月4日火曜日

石城北神谷誌

高木誠一が書いた岩城北神谷誌
石城北神谷誌





内容は、本になっているので詳しいことを知りたい人はこちらから、あと、日本の古本屋でも購入できると思います。